カテゴリ:パソコン回顧録( 13 )

2001年 01月 24日
パソコン回顧録  はじめに
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 この「パソコン回顧録」はRyochanが2001年に初めて作った「Ryochan's Home Page」というホームページのコンテンツのひとつとして書いたものです。当時はこのブログは開設していなくて(というかブログというもの自体がなかった)、WEBでの情報発信は全て同ページで行っていたのですが、今では同ページを更新することもなく、同ページは事実上休刊状態となっています。今、見返してみると稚拙な内容で気恥ずかしいのですが、この「パソコン回顧録」は思い入れもあり、今後のことを考えてこちらに移植して保存することにしました。(2014.04.30)
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<はじめに>
 インターネットの普及でパソコンは生活必需品になりつつあります。そんなパソコンですが、ついこの間、と言っても20年くらい前までは一部のマニアが趣味で持っているようなものでした。このコーナーは、そんな時代からパソコンをを見てきたRyochanが、昔話を語るコーナーです。ベテランの方は「そんなのあったなー」と昔に思いをはせ、若い方は「エーッ、うそー」と驚いていただければ幸いです。

<序>
 パソコンの歩みを私なりに振り返ってみると、大きく5つの時代に分けられるように思います。第1の時代は1976年9月にNECより発売されたTK80に始まる、俗に言うワンボードマイコンの時代。第2の時代は1979年9月にやはりNECが発売したPC8001に始まるBASICの時代。第3の時代は1984年頃から普及し始めたMS-DOSの時代。第4の時代は1995年11月にMicrosoft社から発売されたWindows95に始まる一般普及の時代。そして第5の時代は1999頃から爆発的に普及し始めたインターネットの時代です。
 
 このコーナーでは、それぞれの時代のパソコンの写真、雑誌の記事、Ryochanの思い出などを紹介することで、パソコンの歴史を振り返ります。21世紀情報化社会の向かう方向を考えるヒントになればと思います。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:59 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  ワンボードマイコンの時代 TK80発売
第一章 <ワンボードマイコンの時代>

Ⅰ.TK80発売

 1976年9月、TK80(NEC日本電気、¥88,500円)が発売され、現在に至るパソコンの歴史が始まりました(一つの時代(文化)の始まりをどこにするかといったことに関しては、多分に主観的なところがあります。このHPでは今後ともRyochanの主観をもとに書いていきます)。MPU(マイクロプロセッサー)自体はもっと以前からありましたが、一つのシステムとして、一般の人々が手にすることが出来た最初のコンピューターという意味でTK80はまさにパソコンの時代を開いた製品です。

 写真は1980年5月に発売が開始されたTK80のマイナーチェンジモデルであるTK85です。実は数年前の大掃除のときに1980年以前の雑誌を処分してしまい、TK80の載っている本がありません。外見はほとんど変わりませんので、この写真で想像してください。

 一見、部品に見えますが、これがTK85の全てです。下のスペック表を見ていただくと、およその性能は分かると思います。こんなもので何が出来るのか、何に使うのかと思われるかもしれませんが、とにかく自分が自由に使えるコンピューターが持てるということで、一部のマニアが買いました。

d0001300_1172342.jpgTK85スペック表  
CUP :NEC製μPD8085AC(8bit)
クロック   :2.4576Mz
ROM    :2Kバイト
RAM    :1Kバイト
キーボード :16進キーボード
表示装置  :8桁LED
価格     :44,800円

 自分だけのコンピューターという意味でマイコンピューター、略して「マイコン」という言葉が生まれ、後にパーソナルコンピューター、「パソコン」という言葉が登場するまで長く使われました。

・マイコンという言葉は、実はマイクロコンピューターの略でもあるのですが、Ryochanはマイコンピューターという解釈のほうが好きです。

・TK80の写真がどうしても見たい方は、尾賀 聡一郎さんの、[なつかしいパーソナルコンピューターカタログ]にあります。他にも昔のパソコンの写真がたくさんあります。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:58 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  COMPO BS/80発売
Ⅱ. COMPO BS/80発売

 実はこの頃Ryochanはまだコンピューターを持っていませんでした。当時定期購読していた科学朝日という雑誌で、アメリカでは学生が大学のコンピューターを使ってスタートレックゲームをしている。Intel社が8080という8bitMPUを発売した。コンピューターが個人で持てる時代が来た。といった記事を読み、自分のコンピューターが持てたいいだろうなーっと漠然と思っていました。当時のコンピューターといえば、コンピューター室という、でっかい特別な部屋に置いてある超高級な機械でしたから。

 そんな時、ふとしたきっかけで、仕事先(自分の会社ではない)のNEC・システム100というミニコン※1を使う機会が出来、FOTRAN※2を覚えました。初めて書いた足し算のプログラムをコンパイラ※3にかけ、息をこらしてまっていると、ラインプリンターからプログラムリストとともに「コノ プログラム ニハ アヤマリハアリマセン」と打ち出されたときの感動は今でも覚えています。

※1:ミニコン
 業務用の最も小規模なコンピューター。と言っても周辺機器を含めると一つの部屋を占有していました。想像ですが価格は数千万円していたのではないでしょうか。主に、現在のサーバーのような用途に用いられていました。

※2:FOTRAN
 科学技術計算用言語。当時COBOL(事務計算用言語)とならんで最も普及していたプログラム言語です。BASICのもととなりました。

※2:コンパイラ
 FORTRAN等の高級言語(自然言語に近い言語)を一括して機械語(コンピューター言語)に変換するプログラム。これに対して逐次変換するプログラムをインタプリタという。BASICはインタプリタ言語です。

d0001300_11133171.jpgCOMPO 80/BSスペック表
CPU NEC製μPD8085AC(8bit)
クロック 2.4576Mz
ROM 不明。判明次第アップします
RAM 7キロバイト
キーボード JIS準拠フルキーボード
表示装置 CRT(別売)
外部記憶装置 カセットテープ(内臓)1200bit/sec
使用言語 NEC・Level2、BASIC
価格 238,000円(カセット内臓)

 写真は1978年11月にNECから発売された、COMPO BS/80です。TK80の売上が予想外によかったため、TK80にオプションとして販売していたフルキーボード※4、等を一体化させたものです。カセットテープレコーダー(外部記憶装置)を内蔵し、BASICが使用できるという当時としては画期的な商品でした。

 ワンボードマイコンで使われていたオプションを全て取り付けて一体化しただけの商品ですが、次の時代の方向性を示したという点で歴史に名を残す価値のある製品だと思います。

※4:フルキーボード
 ワンボードマイコンでは16進キーボード(写真のTK85についているもの)が一般的でした。プログラムは全て機械語(16進数)でしたから、これで十分でした。これに対して現在のキーボードと同じような配列のキーボードを、フルキーボードと称していました。

 COMPO BS80の発売を知り、それまで漠然と欲しい思っていた思いが、一気にぜひ欲しいというように変わりました。しかし、価格をみると当時もらっていた給料の何倍もの値段であり、簡単に買えるようなものではありませんでした。もうしばらく様子をみようと、雑誌などに載っていたBASICなる言語で机上でプログラムなんかを書いていました。結果としてはこの判断は間違っていませんでした。1年後にRyochanのマイコン第一号となるPC8001が発売されるのです。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:57 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  NECシステム100
Ⅲ.NECシステム100

 Ryochanが初めて触ったコンピューターであるNECシステム100の話を少し書きます。

 NECシステム100は、NECがオフィース用途に開発したミニコン(略してオフコンと呼ばれていた)です。初期モデルがいつ発表されたのかはよく分かりませんが、Ryochanが初めて触ったものは1976年4月に発表されたシステム100EかFモデルだと思います。オプション構成によるのだと思いますが、ラインプリンター※1、8インチ・フロッピーディスク、リームバブルハードディスク(容量は分かりませんが、直径40cm、厚さ10cmぐらいの円盤がワンタッチで交換できました)を装備していました。下の写真は当時のミニコンです。システム100もだいたい同じような感じでした。
d0001300_13182233.jpg

 スペックはほとんど覚えていませんが、CPUはNEC製μCOM16(16bit)、主記憶容量(メモリー)は64キロバイトだったと思います。主記憶容量は少ないですが、ハードディスクをオーバーレイメモリー(Windowsでいうスワップメモリー)として使用することで、FOTRAN、COBOLなどの高級言語が使えましたし、サーバーとして複数端末から入ってくるデーターの処理も行っていました。
 
 こう書くと、今のパソコンと同じような印象を持たれるかも分かりませんが、そこはそこ、なかなかのものでした。写真のとおり、キーボードとCRTディスプレイは一応装備されていましたが、これは主にオペレーション(操作)用であり、プログラム等の作成は傍らに置いてある紙テープパンチャー(PTP)をもっぱら使用していました。こんな状態ですから、ちょっとしたプログラムを走らすのもけっこう大変でした。プログラムの作成手順は次のようになります。

d0001300_132097.jpg1. PTPにつ いているキーボードにプログラムを打ち込むと、横にセットしてある紙テープ(幅5cm程度の紙テープ)に直径1㎜ぐらいの穴があいてプログラムが記録される。
2. 編集する場合は、不必要なところを鋏で切り取り、必要なところを集めて、糊で貼り付ける(本当です)。
3. プログラムの記録された紙テープを紙テープリーダー(PTR)にかけ、コンピューターにプログラムを入力する。
4. コンパイラーを走らせて、プログラムを機械語に変換する。この時、同時に構文チェックが行われ、文法ミスがあるとラインプリンターからエラーリストが打ち出されるので、PTPを使って切り貼りして修正する。
5. プログラムを実行する。

 最近はとにかくハードウエアが全てのような風潮がありますが、このような貧弱なハード環境でもソフトウエアで現在と同じような環境を築いていたことを考えると、やはりコンピューターはソフトウエアだと痛感します。当時、よく言われた言葉「コンピューター、ソフト無ければただの箱」※2は名言だと思います。

※1: ラインプリンター(文字をクリックすると写真が表示されます。)
 現在のプリンターのように1つのヘッドが横に移動しながら印字するのではなく、各桁に一つづつヘッドを配置(132桁の場合、132個ヘッドがある)することにより、力ずくで印字速度をかせいだプリンター。1行単位で印字するためラインプリンターと呼ばれました。写真の右奥にあるのがラインプリンターです。

※2: 「コンピューター、ソフトなければ・・・・」
 「ソフトウエア、ハードなければただの紙」 と言う人もいました。

------- 第1章「ワンボードマイコンの時代」、完 -------
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:56 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  第二章・BASICの時代 PC8001発売  
第二章 <BASICの時代>

Ⅰ.PC8001発売

 1979年9月、NECからPC8001が発売されBASICの時代が始まりました。価格も168,000円と当時のRyochanの給料でも何とか手が届く値段でした。NECの代理店に勤めていた知人の「安くしてもらえるように言ってあげるよ」という言葉もあり、12月のボーナスをもらうと同時に当時、岡山に一軒だけあった「システムイン岡山」に買いに行きました。結局、安くはしてもらえませんでしたが、RFモジュレーター(テレビアダプター)をおまけにつけてもらい、定価どおり168,000円で買いました。

d0001300_21513778.jpg 家に帰り、さっそく自分の部屋の9インチ白黒テレビにつなぎ、スイッチを入れると画面に「NEC PC8001 BASIC Ver1.0 Copyright1979(C) by Microsoft OK」という文字が表示されました。恐る恐る、キーボードを叩くと、叩いたとおりのアルファベットが画面に表示され、「Syntax error OK」と表示されました。感激しました。それまでテレビは一方的に表示されるものでしたが、任意の文字をテレビに表示できることに妙に感動したのを鮮明に覚えています。これが今日に続くRyochanとパソコンの出会いです。

右の写真はRyochanのマイコン第一号となった、名機PC8001です。キーボードだけに見えますが、これが本体であり全てです。フルキーボード標準装備、RAM(メモリー)16キロバイト、CRT及びカセットテープインターフェイス標準装備、レベル3BASIC搭載、カラー表示(8色)及びグラフィック表示(160×100)可能・・・・・。数え上げればきりが無いほどの最新機能が満載され、かつ、先進的なデザイン。価格は168,000円。パソコンの新しい時代を開く画期的な製品でした。

PC-8001スペック表
CPU NEC製μPD780C-1(ザイログZ80コンパチ、8bit)
クロック 4.0MHz
ROM 24キロバイト(N-BASIC、モニタ)
RAM 16キロバイト(最大32KBまで増設可)
キーボード  JIS準拠フルキーボード
表示装置 CRT(別売)、家庭用テレビ可
外部記憶装置 カセットテープ600bit/sec(別売)
使用言語 N-BASIC、機械語
価格 168,000円(本体価格)

 当時としては画期的なPC-8001の機能も、現在のパソコンとは比べるべくもありませんが、現在のパソコンよりも格段に優れている点が二つありました。一つは静粛性です。ファンが全くついていませんでしたから、まさに無音でした。もう一つは立ち上がり時間です。BASICがROMとして内蔵されていましたから、電源を入れると直ちに(1秒とかかりません)使えました。現在のパソコンもこの二点だけは見習ってもらいたいものだと思います。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:55 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  PC8001の周辺機器
Ⅱ.PC8001の周辺機器

 下の写真がPC8001のフルセットです。ハードディスクとCDROMはありませんが、基本的には現在のパソコンと変わらない構成です。PC8001がパソコンの歴史を開いた製品だといわれる理由の一つです。当時、フロッピーディスクドライブは非常に高価だったため、多くの人は外部記憶装置としカセットテープレコーダーを使用していました。600bit/secという現在では考えられないような速度でピーピーガーガー(FAXを送るときと原理も音も同じです)やっていました。
d0001300_14185691.jpg

機器 スペック概要 価格
PC8001本体 ROM24KB、RAM16KB   168,000円
増設メモリー 32KB    24,500円
ディスプレー 12インチカラー高解像度   219,000円
プリンター 80桁、ドットインパクト方式   165,000円
拡張ユニット フロッピーディスクインターフェイス等   148,000円
フロッピーディスクドライブ 5インチ143KBドライブ、2機内臓   310,000円
合計金額   1,034,500円
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:54 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  PC8001のライバル
Ⅲ.PC8001のライバル

 当時PC8001と人気を二分していたのがシーャープMZ80シリーズです。左の写真はフラッグシップモデルのMZ80C(268,000円)です。MZ80シリーズはさまざまな点でPC8001と設計思想が異なっていました。

d0001300_1423746.jpg  まず写真のようにPC8001と異なり9インチ・グリーンディスプレーと専用カセットテープレコーダー(1200bit/sec)が一体化されていました。もう一つ大きな違いがBASICです。PC8001はMicroSoft製でしたがMZ80はシャープ製でした。さらにMZ80はBASICをROMとして内蔵するのではなく、使用のつど内臓カセットからロードして使うようになっていました。

 OSや言語を使用のつどロードするという方法は現在のパソコンと同じですが、1200bit/secのスピードで使用のつどロードするのは、かなりまどろっこしいものだったのではないでしょうか。RyochanはNEC派でしたから使ったことはありませんが。
 それでも当時はPC8001と人気を二分しており、雑誌等でもどちらがいいなんて論争をよくしていました。変な例えですが、MZ80のファンは阪神タイガースのファンと同じようなものではないでしょうか(どういう意味かは言いません、ファンの方にはすみません)。MZシリーズはこの後も色々なモデルが発売されましたが、結局は発売中止となりました。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:53 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  BASIC
Ⅳ.BASIC

 BASICとは「Beginners All purpose Symbolic Instruction Code」の略で、1960年中ごろに米ダートマス大学で大型計算機のタイムシェアリング用としてで開発されたプログラム言語です。現在では死語となりつつありますが、当時はWindowsのようなOS(オペレーティングシステム)はありませんでしたからBASICはプログラム言語であるとともにOSでもありました。OSを兼ねていましたからプログラムを書かない人でも最低限のコマンドは知らないとパソコンを操作することは出来ませんでした。
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 上の写真は、雑誌ASCII・1980年11月号に掲載された海戦シミュレーションゲーム「フリートコマンダー(野田哲平)」のプログラムリストの一部です。当時はCDROMのおまけなどはありませんから、根性のある人は写真のようなリストをせっせと手で打ち込んでいました。Ryochanのように根性なしの人は、友人からプログラムの入ったカセットテープをもらい、他人のふんどしでゲームを楽しんでいました。もっとも、その友人も友人からもらっていたりして、まるで○○ビデオの世界のようなところがありました(前出の阪神タイガースの例以上に卑近な例ですみません)。

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 フリートコマンダーは海戦をテーマにした戦略シミュレーションゲームです。設定は1940年代、戦力は戦艦、空母、航空機、魚雷艇、潜水艦等々です。人間はプロトンという国の総司令官となり敵国(コンピューター)アルゴンと戦います。アクションゲームではなく戦略シミュレーションゲームです、索敵機を飛ばし、敵戦力配置を把握し、作戦を立て、移動、攻撃命令を出して戦います。時には索敵機が撃墜されることもあります。まるでコンピューターが意思を持っているような感覚に妙な感動を覚え、けっこうはまりました。フリートコマンダーはコンピューターゲームの世界に戦略シミュレーションゲームという一つの分野を拓いた歴史的名作だと思います。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:52 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  思い出のプログラムⅠ
Ⅴ.思い出のプログラムⅠ

 今はパソコンを使うということはアプリケーションソフトを使うということとほとんど同義ですが、当時は今のようなアプリケーションソフトはなく、パソコンを使おうとすると雑誌に載っているプログラムを手で打ち込んで使うか、自らプログラムを書くかしかありませんでした。めんどくさい時代であったとともに夢のある時代でした。

 現在のパソコンは当時の超大型機を上回る性能になっていますが、このことは、それを使いこなすには当時の超大型機を使いこなす以上の技量を必要とすることを意味しています。とてもRyochanのような技量の人間が出る幕はありません(下の写真は1981年にHITACHIから発売された当時世界最高性能の超大型機HITAC・M280Hですが、メモリーは32MBです)。ところが当時のパソコンはハード、ソフト、アマチュアのレベルともに現在から見ると大変幼く、Ryochanのような技量でも、前項で紹介したフリートコマンダーの野田哲平さんのようになれる可能性があると「思える」時代でした。
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 雑誌に掲載されると当然ですが印税が支払われます。印税生活、なんと心地よい響きでしょうか。心のどこかにこの響きを押し込めてRyochanもいろんなプログラムを書きました。当時Ryochanが書いたプログラムで印象に残っているものをいくつか紹介します。

d0001300_20574413.jpg多重回帰計算
 多変量解析で用いる多重回帰式を求めるプログラムです。RyochanがBASICで初めて書いたプログラムです。このプログラムはシステム100用にFORTRANで書いたプログラムをそのままBASICに移植したものですが、PC8001とBASICの実用性を確認することが出来ました。

マスターマインド
 互いに質問をしあいながら4桁の数字を当てあうゲームです。「4395ですか?」「1H2B」ですと言って進めるといえばやったことのある人は分かると思います。初めて書いた思考プログラムです。パソコンショップで知り合った高校生と、お互いに作ったプログラムどおしで対戦させ、完敗しました。聞くと機械語で書いており、アルゴリズムは単純な総当り法でした。BASICと機械語では100倍以上速度が違うためBASICで総当り法を行うことは事実上無理でした。速度の力をまざまざと見せつけられ、機械語を覚えるきっかけとなりました。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:51 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)
2001年 01月 24日
パソコン回顧録  思い出のプログラムⅡ
Ⅴ.思い出のプログラムⅡ

BASICコンパイラ
 BASICを機械語に変換するプログラムです。BASICで書きました。BASICでBASICを機械語に変換する。ちょっと考えると不思議な感じがしますが、作りました。最近はVB(VisualBASIC)などで当たり前になっている機能ですが、当時はコンパイル機能を持った市販のBASICはありませんでした。自信作の一つです。
 このコンパイラは整数しか使えない、配列は1次元のみ、演算子に優先順位はない等々、制限の多いものでしたが、変換後の速度は100~200倍になりました。VB等のコンパイラは10倍になればいいほうと聞いていますから、速度だけはVBより優れています。アスキーに投稿しましたが、ボツになりました。  

d0001300_2144736.jpg音楽演奏
 今はパソコンで音楽が演奏できることは当たり前ですが、当時のパソコンはビープ音といって「ピーッ」という音しか出ませんでした。そこで考えました。例えば、このビープ音を一秒間に500回ON・OFFすれば500Hzの音になるのではないかと。やってみると思ったとおり出来ました。さっそくプログラムを書きI/Oという雑誌に投稿しました。投稿した月に、もっといいプログラムが掲載されました。当然ボツでした。私のプログラムは、C4E4D8F2というふうに音符データを記号で入力するようになっていましたが、掲載されたプログラムは五線紙上に音符を書き込むものでした。
 Ryochanは携帯を持っていませんので詳しいことは分かりませんが、着メロの入力方法もこうなっているようです。いつの時代も限られた機能を使って何かしようとすると同じ発想になるみたいです。

 この他にも色々なプログラムを書きましたが、雑誌等に掲載されることはありませんでした。結局、Ryochanのスキルアップの速度よりもパソコン社会の発展の速度が圧倒的に速かったということです。アマチュアがソフトを作る時代から、プロが作ったソフトを使う時代に移りつつありました。
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by ryochan_ex | 2001-01-24 23:50 | パソコン回顧録 | Trackback | Comments(0)